新しい経験をしよう

自分にとっての楽しいことを見つけよう。

実は知らないだけで、沢山の楽しいことがあるはず。

そして、自分自身の眠っている、能力を発揮することも出来ると思う。

 

同じ日々の繰り返しというものは無難で安心感もある。

新しい事をするのは、めんどくさいと感じることもある。

例えば、私が行ったのは、何処でもよいので、新しい居酒屋、レストランに行ってみよう! と考えた。

常連客という言葉があるとおり、人はいつも同じ行動を繰り返したほうが楽だし、

失敗したくない、後悔したくないという気持ちから同じ行動を繰り返すようにと出来ている。その分、刺激もなく脳も退化してしまう可能性がある。

新しい店をネットで調べたり、通りすがりの店に立ち寄ってみる。

最初は確かに抵抗があるが、行ってみると、新しい発見が必ずある。

新しいものを見るとは心において清々しく、喜びも大きい。

 

どんなことでもよいので、めんどくさいという気持ちを取っ払って、行動してみると

また新しい世界が見えて、充実した経験もできるはず。

 

 

 

 

 

自分を磨く

自己成長や自分を磨くという意味は本来何なのだろうと思うことあった。

それというのは、社会や周りの人から見て、まっとうな人間であれば、好かれる存在で

あれば、適応しているので、成長したまっとうな人間であるということなのか?

周りから外れていたら劣っているのかと。

 

おそらくその意味は、社会と言う内包的な空間の中で、迷惑をかけずに、どう自分らしく努力していくかという事。

成長といっても、価値観が人によって全然違う。

職業によってもとても変わってしまう。

手に職をつけたい。この世界の一番になりたいという思いも、成長である。

心を誰よりも優しく思いやりの深い人間になり、社会に貢献したいともう気持ちも

それは一つの成長であるということ。

 

どんなことだっていい。自分が打ち込める事を見つけ、それに対して努力をやり続ける。それが自分の人生を生きるということであり、成長であるのだと思う。

ストレスとは?

ストレスとはそもそも何のためにあるってのか?

一般的には悪いものととらえられていることもあるけれども、

自分を守るために存在するのであると思う。

ストレスを受けることで、危険、恐怖という感情を知らせている。

体の痛みだってそう。

昔は痛みが無かったらいいなーって考えたこともある。

大きな間違いである。

しかし、世の中には無痛症という珍しい病気がある。

先天的に痛みを感じ細胞が存在しない。

その患者は体は健康であっても、ほとんどは若くして命を落としている。

痛みがないため、面白半分に自分の歯を抜いてみたり、二階から飛び降りてみたり、

もしくは出血したりしても気づかないと非常に生きる上で危険である。

 

誰もが苦しみから避けていきたいが、心の痛みも、体の痛みも、自分を守るために存在している。

つまりストレスとは自分にとって良いものであるのだと思う。

実際はただ悪くとらえてしまって、心身にダメージを与えてしまう。

ストレスを悪いものだととらえるから、心の病気を引き起こす。

ストレスにより自分は成長するんだ。ストレスによって、新しい思考や行動ができるようになれるんだ。

考え方で人生は大きく変わると思う。

 

 

やりたいことをして生きる

自分のやりたいことをして、毎日充実して生きてる人はどれくらいいるのだろうか。

我慢、辛抱は美徳であるという日本の考え方はあるが、今の現状の日本において

マイナスに動いていることが多いと思う。

やりたくない事をやり続けた結果、体を壊してしまったり、精神的に大きなダメージ

を追ってしまったり。

その苦労とは人生において何の価値があるのだろうか?

 

私はそれを英語でhave toよりもwant to

で生きていくと心に刻んで生きている。

しなければならないことをして生きるのではなく、やりたいことをして生きていく。

 

やりたいことをしている人間は、集中して取り組めるし、モチベーションも高まるので、良いパフォーマンスを発揮して良い結果が出やすくなる。

逆にやりたくない事をしていると、苦痛や苦労を感じる割にはパフォーマンスを発揮できず、良い結果を出すことが難しくなる。

しかし、現状を変えるには勇気がいる。例えば今ブラック企業に勤めていたとして、

心から辞めたいと思っていたとしても、

辞めてしまうのが怖い。次行くところの給料が下がったらどうしよう?

また更に悪い会社に入ったらどうしよう?という不安から現状を維持してしまう。

人間には現状を維持しようというホルモンが働き、それを嫌でも続けてしまう。

 

一度勇気を出して行動をしてみると意外と後はすっきりした気持ちになることはある。

例えば、私の経験で初めて海外旅行に行くときは、緊張する気持ちがあった。

でも何度か行くうちに慣れてきた。

次は一人で行ってみようとバリ島に一人で行ったときがあった。

最初は緊張したけれど、行ってみたら、全然大丈夫だった。

その後は留学に行ったり、海外で仕事していたこともあったりと、不安よりも

むしろ、ワクワク感のほうが強い。

 

まずは簡単にできることから、新しい挑戦をしてみると、良いことにはよく遭遇する。

自分を信じて、want toを求めて行動してみる人生は発見が沢山あるはず。

 

 

自分の評価で生きる

他人の評価で自分の成績や結果が決まることはあるけれども、

自分の評価を一番大事にしなければ大きな成果は出ない。

なぜなら、他人の評価が必ずしも正しいわけではない。

 

他人にはそれぞれ価値観も違うし、評価している部分も違えば、

知らない部だって沢山ある。

他人は自分の良いところよりも悪いところばかりを見る人だっている。

それを鵜呑みにして、自分が自信を失ったり惑わされたりするのは、本当に勿体ない。

 

どんな自分でもいいから、昨日の自分よりも今日の自分が成長し、そして明日は

更に成長を望んでいるのであればそれで良い。

自分の中の自己肯定感と効力感は失ってはならない。

 

日々前進し日々努力をし、日々成長している実感を持てているのであれば、

他人など気にすることは無くなる。

そしていつかは本当の成果を発揮し、気づいたときには周りに認めてくれる人

が沢山現れるだろう。

学生を終えたから学問は終わりではない。一生かけて学んで、

そして経験を積んでいくものである。

エレファント症候群

エレファント症候群という言葉がある。

エレファントは日本語で象を意味するが、なぜそのような言葉の由来があるのか?

 

インドのお話でインド象を飼いならす為にまず強くて太い竹に鎖を足に繋いで、長い間

その状態で飼育する。象は逃げようと抵抗するが、逃げることが出来ない。

やがて象は諦めてしまう。

その後、象を別の場所に移動させ、次は簡易的に、短い丸太を地面に植え込んだ

ものに足に鎖を繋いで飼育する。

象の力であれば簡単に引き抜くことが可能であるのだが、象は抵抗することをしず、

おとなしく過ごしてしまう。

それは?

竹が抜けないことで、自信を無くした象は挑戦する事を辞めてしまう。

本当はできるのに、できないと思い込んでしまう。

これは、インドでうまく象を飼いならす為に生まれた一つの手段であるが、

人間の生活にも当てはまる。幼少の頃、周りから、否定されて育っていくと、才能があるのに、自分の能力を

発揮することが出来ず、自信を持てない大人になってしまう。

学生時代は、成績が優秀でも、社会人になり、たまたま自分に合わない職業を

選んでしまい、失敗を連発してしまい、自分はダメな人間だと思い込んでしまい、

何事にも自信を持てず、本来の力を発揮できずにいる。

 

自分を責めたり、出来ないという感情は思い込みである事が多いのかもしれない。

過去失敗しても、自分を信じて新たな挑戦をしてみると、思いがけない眠った力が

人間にはあるはず。

 

 

むやみに人を嫌わない。人を認める。

人生の中で生きていれば、必ず、苦手な人、嫌いな人は現れます。

例えば、プライベートの時間であれば、人を選ぶことが出来ても、それが職場にいたとなると、強制的に関わらなければなりません。仕事、業務内容とは関係ないのに、無駄にストレスを受けてしまいます。ただでさえ仕事には時にはストレスが係るのに、人間関係

で二重にストレスが掛かると、経験される方は多いかと思います。

 

その結果、悪口を同僚や友達と話したりして、解消を図りますが、それは一時的なもので、結局建設的なものにはならず、相手もそれを察してしまうこともあり、余計に関係は良くなりません。

ただ、好き嫌いの基準というものは、自分の価値観、偏見から生まれていることも多いです。そして人には必ず、良し悪しがあります。

そして自分自身にも必ず良し悪しがあるならば、そこにはズレが生じる事は当然のことです。

まずは相手を理解する、そしてその人の好い所に目を向けることが大事です。

それを前提に、あえて苦手な人とつるんで見ると、意外な発見があるものです。

自分の捉え方が間違っていたと気づく事もあるはずです。

まずは、相手を理解したうえで、自分の事も理解してもらう。

お互いがそれを思えば良い関係が作りやすくなります。

 

嫌いの理由を相手が悪いのだと相手のせいにしてしまいがちであるが、

実は、自分の間違った価値観から作ってしまっているのかもしれません。