過去に捉われず、未来を恐れず。

人間とは過去に捉われてしまう生き物である。

過去の延長線上に現在があると考えてしまう。

過去に、大きな失敗もなくとても良い功績や努力を続けてこれた方であれば、良いのかもしれないけれども、過去に嫌な思いや、失敗などを、繰り返してしまうと、

その記憶をもとに自分が作られて、人生に悪い影響を与えてしまう。

過去の失敗を気にして、現在や未来に行動を躊躇してしまうのはあまりに人生が勿体ない。

 

人生にはうまくいかないことは付き物である。次なる未来への行動を恐れていては、何も始まらない。何も挑戦できない。

気持ちはよくわかるが、そんなことは二度と思い出す必要がない。

頭の中のごみである。

 

私自身も頭のごみが浮かぶことはある。

そのたびに、いかん、いかんと思い、忘れる事。

自分の理想の未来を想像するようにしている。

 

人間の脳は思考次第で本当に決まってしまう。

生きてく中で挫折や失敗を繰り返すと、自分はダメだと、能力がないと思ってしまうが、

でも、本当に死ぬほど努力をしたのだろうか?

娯楽や、交際を断ち切ってでも、本当に毎日努力をしたら、

もっとよい結果は出せるはず。

 

思考は成長思考であればまた違う世界が見えるはず。

昨日の自分を超える。

自己成長するためには、ずばり昨日の自分を超える事である。

他人との比較とは何の意味もない。

そもそもの基準も違うし、人それぞれ、優れている点、劣っている点がある。

 

人は無意識のうちに、他人と比較して優劣を決めてしまう癖がある。

そして人認められたい、評価されたいという承認欲求がある。

それは、人は古代から群れを共にして生きてきた生物であり、

その集団生活の中で外れないように、生きてきた。

そのために、嫌われる事を恐れたり、集団の中で評価を受けたいという本能が根付いている。

本能である為、消すのはなかなか難しいが、日々意識することが大切である。

 

他人の評価ではなく、今の自分が昨日より越えているいることを毎日確認取れれば、

必ず成長できる。

他人の悪口や、否定を受けても、認めることも大事。

ミスをしても、私らしくなかったな と思えば良い。

何か言われたら、この人は私の一部しか見てない。

私は毎日努力していて素晴らしいんだ!

と気持ちを切り替える。

上手くいった自分が居たら、徹底的に自分を褒める。

 

自分の中で、自分が実感できていること、自分を認められること。

自分を許せる心。

強く生きてくためには、正しい心の持ち方を持っていきたい。

人は自国の平均から自分を決める。それは幸福度を下げる。

人は何らかの評価をするが、その基準というものは自国からの基準のものに過ぎず、あまり価値のないものである。

実は私は現在フィリピンセブ島で暮らしているが、国民の年収は40万円前後ぐらいの人が大半である。日本人がセブ島日系企業に就職すれば年収200万前後は手にすることはできるだろう。

物価の差はあるとしても、日本人にとっては安いと感じるだろう給料である。

しかしフィリピンの自国の基準からみると、平均を上回り、羨ましく思う人も出てくる。

 

現在の日本での平均年収は400万円ほどであり、それを下回るからと言って、劣等感や嫉妬など全く持つ必要がない。

無駄な雑念であり、自分の幸福度を下げるだけである。

 

日本人の前で私が英語を流暢に話すと、皆、凄い!だとか

カッコイイ!   頭良い!

という人がいるけれども、私は決して、難しい英単語も文法もあまり知らない。

日常会話が使い慣れてるので、ハイスピードで話せるだけなのである。

私の英語力が高いのではなく、日本人の英語力が低すぎるのである。

つまりそれは自国からの基準でものを判断している。

ヨーロッパのバイリンガルやトライリンガルの人に比べたら、全然大したことない。

決して、日本人の悪口を言うつもりはないが、それは日本人の問題ではなく、

日本の教育の問題である。

 

あくまで例であるが、平均などどうでもよく、

自分の価値は自分で決めるべき

ということが伝えたいだけである。

 

他人評価を気にしたところで、気分は悪くなることの方が多いと思う。

どんな肩書であれ、今自分のやっていることに誇りをもって生きていれば、

幸せを感じるものだと思う。

 

 

 

上手くいってる事に意識を向ける。

人間は、成功体験を軽くとり、失敗体験を強くとる。

人生の悪いところに目を向け、良いところに目を向けづらい。

それは、脳が自分を守るために防衛しているのである。

 

とにかく危険から避けるためには、無難に生きさせようとする。

その為、嫌な経験や現在の思いをネガティブなイメージが浮かびやすくなっている。

 

他にも体の痛みやストレスを感じるというのも、自分を守っている。

出来れば感じたくないけれども、苦痛を伴うことで、結果的に危機から逃れている。

 

防衛機能としては大切であるが、それが、自分の人生をマイナスに働くことが多くある。

恐怖、自信喪失、嫌悪、怒り、

マイナスの感情が強く出すぎてしまう。

 

しかしプラスの感情を意識的に行えば、改善される。

思考とは、人生を決めてしまう。

思考が言動となり行動となり習慣となる。

その習慣が人生となっている。

思考→言動→行動→習慣→人生

 

冷静に今自分の置かれている人生を客観的に考えてみる。

そうすると、起きている問題とは1割程度であったりする。

なら残りの9割の上手くいっていることに目を向ける。

9割とは当たり前のことだけれど、恵まれていること。

例えば、

五体満足である。

家がある。

御飯がある。

飲み物がある。

友達がいる。

家族がいる。

仕事がある。

恋人がいる。

 

人それぞれであるが、当たり前の事とは、実は恵まれていて、

上手くいっているのである。

 

 

 

成功とは

世の中には成功という言葉をよく聞くことがある。

成功者と失敗者 だとか、他には勝ち組と負け組だとか。

一般的な意味としては、事業で大金を稼いだ、スポーツでチャンピオンになった、

など物理的や功績を表しているのだと思う。

 

ただ、私が疑問に思うのが、それは果たして幸せなのだろうか?

その一時は幸せでも、継続的に幸せになれなければ意味もない。

そもそも、人は何かの欲望を持ち、野望を抱き、成功のための努力をする。

つまり、その目的は(将来、幸せになる)ということであるはずだ。

 

勝ち組と言われてる人たちでも、家庭生活、人間関係に不満が多く不幸な人もいれば

質素な暮らしをしていても幸せな人は世の中に沢山いる。

それは恐らく

 

幸せになる考え方をしているか

 

私の成功とは 成幸 と思っている。

つまり幸せを成し遂げる為に人生があるということ。

 

そのためには普段から幸せにあるためにはどうしたらよいか?

心を鍛える、

しあわせりょく

をつけていく必要がある。

嫌な事を無理してしなくて良い

 人生の中で嫌なことは沢山遭遇する。

勿論、良いことも沢山遭遇する。

悪いこと、嫌なことを乗り越えて、強くなり、幸せになるという考え方もあるが、

柔軟にいろいろな視点から、総合的にみるともっと良い、効率の良い方法がある。

 

自分の中でやりたくないこと、もしくはやりたいことを紙にもしくはパソコンに書いて書き出してみる。

例えば朝起きて、眠いのに仕事行くのが嫌だ。寒いのが嫌だ。

それは、社会人として当たり前とされていて、そんなことを言うやつは怠け者だ、

という意見もあるが、素直になればよい。

逆にやりたいことは、自由な仕事がしたい。

勝手にお金の入ってくるシステムが欲しい。

 

自分の感情に素直になれば気づく点も多く、自分が何をすべきかも分かるし、

常識に捉われなくなる。

 

やりたくないことが如何に無駄であるかということに気づき、やりたいことだけをやれば、その人生観は大きく変わるだろう。

 

 

幸福度とはプラスとマイナスの総合値

幸せを感じる時というのは、人、それぞれ違う。

価値観も違うし、環境も違う。

不幸を感じたり、ストレスを感じる時もそう。

つまり良いことと悪いことが、交互に起きてよりかは、良いことと悪いことを

自分自身がどのように感じて自分の人生が成り立っている。

 

幸福に感じた量と苦痛を感じた量のプラスマイナスで結果的な人生の幸福度が決まっていると思っている。

高収入な所で勤めていて、お金の不自由は無くとも、他でストレスが多いのであれば、

総合的な幸福度は下がってしまう。

そこそこの収入で、やりたい仕事をしていて、ストレスが少なければ、

総合的な幸福度は上がる。

お金はとても大事。生活できないレベルは苦しい。ただ最低限暮らせる分のお金を持っている、もしくは継続的に収入源があるのであれば、あとは自分次第。

 

私は、様々な状況を経験した。

高収入だけど、苦痛な仕事をしている時期。

お金はないけど、自由な時期。

安月給の時間も苦痛の仕事をしてる時期。

普通の給料で普通の生活の時期。

海外で働いていた、もしくは旅をしていた時期。

仕事だけではないけれども

 

幸福度を上げる為には、自分のライフスタイルのバランスがとて大事であると思った。